
グローバルマネジメント研究所
ディレクター
-大震災から学ぶ真のグローバル企業への道-
3月11日太平洋三陸沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震から3週間が経過しますが、この震災による影響はとどまるところを知りません。
この震災によって犠牲になられました方々ならびにご遺族の皆様方に対して謹んでお悔み申し上げますとともに、被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。また、体を張って原発事故を食い止めようと作業に従事されている方には、ただ頭が下がる思いです。
この大震災によって、日本は大変な危機にあります。直接的な被害だけではなく、首都圏および周辺地域における計画停電と過度の自粛ムードによる経済活動への影響、原発事故による身体と食の安全への不安など、人々の生活を一変させ、同時に、地震と津波による企業の工場や物流拠点のダメージ、停電による工場の稼働停止などにより、企業のサプライチェーンに大きな爪痕を残しています。
パナソニック、日立製作所、NEC、ソニー、トヨタ自動車、ホンダなど大手メーカーは、工場の被災状況と電力不足により通常の生産ができないことなどを早々に発表しました。
日本にいる私たちは、「これだけの大災害だったのだから仕方ない」と当然のこととして思ってしまいます。しかし、海外のグローバル企業には全く違う日本企業が見えているのです。
特に東北地方は、電子製品や自動車の部品メーカーが集中しており、多くのグローバル企業の部品調達基地になっていました。日本企業から部品などを調達しているIT系や自動車関連の海外のグローバル企業は、サプライチェーンが寸断され、その影響は深刻な状況です。毎日のように米国、中国、韓国などのメーカーが、部品不足で生産停止や減産などを発表しています。日本企業が、世界中のメーカーに「生命線」とも言える重要部品を提供していながら、その役割を果たせなくなっているのです。グローバル企業ともなれば、「地震の影響があるため、しばらく休業します」などという言葉は通用しません。
今回と同じような事態が2007年7月の新潟中越地震でも起こりました。新潟県柏崎市にあるエンジン部品のピストンリングを製造するトップ・メーカーのリケンが被災し、自動車メーカー各社が次々と生産を停止する事態となりました。さらに、自動車メーカーのこの生産停止に伴って、自動車部品メーカーも連鎖的に生産を停止せざるを得ない事態に陥ったのです。この時、欧米企業は「日本企業は危機管理がそこまで疎かなのか・・・」と驚愕したそうです。この2007年には、経済産業省中小企業庁がBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)のガイドラインを示し、多くの日本企業では天災など有事でのリスクを最小限にとどめ、事業を早期に回復する危機対応策を構築しましたが、今回それが活かされたのかは大きな疑問です。
一方、首都圏に本社のある多くの外資系企業は素早く対応し、本社機能を関西や韓国、シンガポールへ一時的に移管し、事業を継続することを優先しています。
また、1995年の阪神大震災の際、神戸に日本およびアジア太平洋地区の本社機能をもっていたP&Gでは、事前に準備されていた「災害復興計画(DRP: Disaster Recovery Plan)」により、迅速な復旧を可能にしています。主力の明石工場の復旧に際しては、世界中に勤務するP&Gの技術者が終結して生産ラインの再稼働に取り組み、閉鎖に追い込まれていた工場を、わずか1ヵ月で全面復旧させているのです。
企業はどのようなリスクに遭遇しても、事業が中断する期間を最小限に食い止め、取引先に影響がでないように早急に対処することが求められています。
「事業の継続」は企業にとって最も重要なミッションであります。
今回の震災は、もはや日本企業は世界を離れては生きていけない真のグローバル企業にならなくてはならないということを教えてくれたのではないでしょうか。
昔から、「窮すれば変ず、変ずれば通ず」と言われます。これは中国の「易経」一文です。「物事が苦境に陥って行き詰まると、情勢に変化が起きる。変化が起きると、そこに何らかの新しい道が開けてくる」といものです。だからといって、何もしないでいては、行き詰ったままになってしまいます。何もしないのは、今までのやり方や考え方に固執している状態です。そのような状態では、開くことのできる道も、開かれなくなってしまいます。「変える」ことが大切です。過去に固執せずに「変えてみる」ことが難局打破には必要です。
日本企業はこれまでも幾多と難局を乗り越えてきました。これは変えることができたからです。
今、真のグローバル企業として生き残っていくために「変えてみる」ことが何であるのかを真摯に考える時が来たのではないでしょうか?