
若者の高離職率、中堅のキャリア志向、女性の就労率とキャリア意識の高まりなど、働く意識に顕著な変化が現れて いる。こうした中で、多くの企業が直面しているのが「働きがい」を見失った人々の増加やモラールダウンである。活き活きと働ける環境づくりが経営の大きな テーマになってきた。
「働くこと」に関する意識は
どのように変わってきたのか
現在は働くことに関する意識が大きく変化している。特に、この約10年間の変化は顕著なものがある。目に見えるものとしては、主に次の7つの現象を挙げることができる。
1.相変わらずの若年層の離職率
特に大学卒業者の入社3年以内の離職率は30%を超え、増加し続けている。やりがいのある仕事をすることを夢見て入社した新入社員が、単調な仕事や研修漬 けの毎日に辟易……そんな「がっかり感」をインターネットを通じて情報交換し、「何だみんなそうなんだ」と一緒に辞めていくといった現象も見られる。入社 直後にバリバリ仕事ができるわけもないのだが、こうした情報が離職への心理的抵抗感を軽減している傾向はあるだろう。
2.企業のボトムアップ活動の形骸化
日本の戦後を支えた代表的なボトムアップ活動はQCサークルだが、こうした活動が形骸化し、廃止している企業は多い。トヨタやホンダなど、一部企業では活動を改善、進化させ、依然として社員の質の向上に大きく寄与しているが、それは少数派だ。
バブル崩壊後の企業の立て直しが経営トップによる強いリーダーシップとトップダウン式の事業推進体制を定着させた。しかし、こういった仕事のやり方を、そ れ以降10年にもわたって続けてきたことで、自立性を欠いた「支持待ち」型の社員を増加させた側面は否めない。このような風土の変化は、自主的なボトム アップ活動の必要性をますます高める一方、かえって活動を衰退に追い込んだのは皮肉な結果である。
3.中堅層のキャリア意識の高まり
人件費削減を狙った定昇や年功序列的処遇の廃止に当たって、多くの企業は「自己責任によるキャリア形成」を盛んに喧伝した。また早期退職制度やリストラな どが断行された結果、社員の中にも「自分のキャリアは自分でつくるもの」「雇用は自分で守るもの」といった意識が強くなった。その中で、自分らしいキャリ ア形成へのこだわりが強くなってきたといえるのだろう。
4.雇用形態の多様化
正社員、契約社員、パート、アルバイト、派遣社員、再雇用者など、現代ではさまざまな雇用形態の人が同じ職場で働くことは普通のことになった。2002年に28%だった非正規社員比率は05年には32%へと増加傾向にある。
5.女性の就労率の上昇と、それに伴うキャリア意識の高まり
97年から05年の雇用は、男性では100万人減、一方女性は102万人の増加であった。ただし女性で増加したのは派遣やパートなどの非正規社員。女性の非正規社員比率はこの期間、38.5%から52.5%にまで上昇している。
一方で女性の高学歴化が進み、キャリア形成に関する矛盾を女性自身が考えざるをえない状況が生まれてきている。
6.中高年の定年後の人生の模索
年金受給開始年齢の上昇と、十分とはいえない年金額が、中高年層の再雇用意欲を刺激している。マクドナルドは定年制を廃止するなど、もともt定年制という考え方の少ない欧米的な状況に、近づきつつあるともいえる。
7.外国人労働者へのニーズ増加と、矛盾の拡大
中小企業の生産ラインなど、単純労働を中心に外国人従業員比率は年々増加している。特に07年から団塊世代の大量退職が始まると、2011年頃には30万人の労働者が不足するといわれている。この不足を埋める一つの有効な人材プールとして外国人労働者が認識され始めた。
しかし、矛盾もある。これらの外国人労働者の大半は、単純労働に従事している。政府などが期待していた高度人材(企画やITや研究開発など)はそれ程増えていない。
「働きがい」と「働く喜び」
企業にとっての大きな関心テーマ
これらの7つの現象は、日本社会における「働くこと」に対する意識の変化を促進している。しかし一方では、企業が現在ほど「働きがい」「働く喜び」といっ たものについての関心を高めたことはなかっただろう。本誌『人材教育』の特集テーマを見ても、それは明らかだ。今年の1月号ではGPTWの働きがいのある 会社について考える特集であったし、5月号では「インデペンダント・コントラクター(IC)」を取り上げ、新しい働き方について考えた。6月号はそのまま 働きがい(ジョイ・オブ・ワーク)に関する特集であったし、7月号では「女性が活きれば会社は伸びる」としてダイバーシティ・マネジメントについて触れて いる。
組織で働く人が、仕事に喜びと誇りをもって仕事に取り組まなければ、高い成果を引き出すことができないのは、今も昔も変わらない真実であ る。ところが、この10数年間、日本の経済環境が大きく変わり、企業は厳しい競争にさらされてきた。多くの企業で社員のモラールダウン、モチベーションダ ウンが引き起こされ、また働くことに対する意識もまた変化してきたのである。
企業はさまざまな施策を打つことで、この変化に対応しようとしてい る。自己申告制度や社内公募制度、FA制等、何らかのキャリア形成支援策を実施していない企業はないといってもいいほどだ。また組織へも貢献に報いる成果 主義を導入し、貢献度の高い重要な人材のモチベーションを維持しようと務めている。さらにフレックスタイムから始まり、ジョブシェアリングやフレックス ワークなど、柔軟な労働時間を可能にする制度も生まれてきた。
育児休業制度、介護支援制度など、従業員のニーズに応える制度も浸透した(ただし日本の場合、特に男性社員の利用率の低さに課題がある)。またダイバーシティ・マネジメントが進展し、女性、高齢者、外国人などの多様な人材の積極的活用が進んでいる。
1960年代のアメリカ行動科学に
本質的なヒントが隠されている
ところが、これらの企業の努力にもかかわらず、働く人の意識は必ずしもよい方向へ変化してはいない。05年12月に野村総研が発表した「仕事に対するモチベーションに関する調査」には、企業として無視できない数字が現れた。
この調査は20代から30代の正社員を対象に実施された。「現在の仕事に無気力を感じる」と答えた人の割合は、何と75%にものぼる。「3年前と比べあま り成長した実感がない」人は42.5%、「現在の仕事に社会的使命を感じない」は31.7%、「潜在的に転職を志願している」と答えた人は44%にのぼっ た。
働きやすい環境を整えるという企業の努力にもかかわらず、このような結果が出たのはどうしてだろうか。実は企業の行ってきた施策は、働きがいや働く喜びに対しての本質的な施策ではなかったのではないかと私は考えている。
では、社員が働く喜びを感じる環境をつくるには、一体どうすればよいのだろうか。そのヒントを50年代から60年代のアメリカに求めたいと考えている。こ の時代のアメリカでは行動科学が花開き、最もアメリカが華やかだった時代といわれる。この時代の経営学の主流は社会制度学派であったが、ここに行動科学の 成果が導入され、行動科学的人事労務管理論が成立していった。
その主要な関心テーマは、組織および個人の意思決定、権限・責任、リーダーシップ、コミュニケーション、モラール、モチベーションなどに関わる、個人と組織の行動そのものであった。
「欲求の5段階説」を唱えたアブラハム・マズロー。彼は人間の欲求は生理的欲求、安全の欲求、所属と愛情の欲求、尊敬の欲求、自己実現の欲求の5段階に分 かれるとし、自己実現欲求を最上位の欲求と位置づけたことで有名だ。マズローの理論体系は実証不可能との批判もあるが、能力開発や処遇等の施策を構築する に当たり、理論的仮説として現在でも活用されている。
「X・Y理論」で有名なのが、ダグラス・マクレガーである。彼は組織的目的と個人的目的の統合を目指し、社員が組織的目的達成のために努力することで、個人の目的達成につながるような条件・環境をつくることで、組織は大きな成果を達成できるとする理論の基盤をつくった。
「人間は発達する有機体である」との考え方で有名なクリス・アージリスは、パーソナリティの成長過程を基盤とする「自主参加リーダーシップ論」を打ち立て た。また、職務拡大と職務充実による個人に対する動機付けの原理を、組織運営理論の中に組み込んだフレデリック・ハーズバーグなど、現在の企業経営の基盤 理論ともいえる多数の理論が、この時代に確立している。
職務拡大や自主的参加
実は日本企業の得意分野
この数年来、企業が社員のモチベーションやモラール向上のために行ってきた数々の施策は、効果的だったのだろうか? 60年代のアメリカ行動科学の理論を 振り返ると、その施策が少々ズレていることに気がつく。焦点を当てるべきは職務拡大・職務充実を含む仕事そのもののあり方、あるいは社員の自主的参加と いったテーマだったのではないだろうか。実は、このテーマは日本企業がもともと得意であったはずだ。このような観点から考えると、現在の施策の延長線上で は、従業員が働く喜びを感じ、モチベーションが向上していくという経営陣が期待しているような方向にはつながりにくいといわざるをえない。
では、一体どうすればよいのだろうか。その具体的な施策例として、私自身の体験事例を紹介する。私が「働く喜びを感じる環境づくり」が大切であると考えるようになったのは、あるアメリカ人労働者の言葉からである。
以前にも少し紹介したが、ホンダ・オブ・アメリカの生産ラインで働く社員が次のように言ったのだ。
「ホンダは『買って喜び、売って喜び、創って喜び』という3つの喜びを大事にするといっている。私は生産ラインで1日8時間同じ仕事を繰り返しており、創る喜びを感じることはできない。しかし、ホンダで働く喜びを感じることができる。
まず第1に、ここではレイオフを心配しないで働くことができる。
第2に、マネジメントが非常に近い存在に感じる。働いていると後ろで社長が見ていたり、マネジャーやエンジニアは、何か用事があれば現場に聞きに来てくれる。彼らの部屋に呼びつけられたりしない。マネジメントの親近感や一体感を感じられる。
第3は、ホンダに入った時に『アイデアや知恵を出して仕事をして下さい、提案をして下さい』と言われた。私がいくつか提案したことのうち、いくつかが本当 に実現した。多くの会社は『改善提案しろ』というが、実際にラインで働いている人から採用されることなどない。それがホンダでは実現した。これは大きな驚 きだった。
第4は、近所の人から『どうやったらホンダに入れるのか教えろ』と言われる。
第5はアメリカで一番売れている車をつくっているという誇り、喜びを感じている。これが私がホンダで働いていることの誇りであり、喜びだ」
私はこの発言を聞いた時、非常に感動したのを今でも覚えている。同時に彼が「働く喜び、誇り」がいかに大切かを教えてくれたと感じた瞬間であった。ホンダ の創業者である本田宗一郎氏や藤澤武夫氏は、「従業員がホンダで働いてよかったと言える会社にしよう」と誓ったといわれている。その精神がホンダの中に根 づいており、その会社の精神をアメリカ人の社員も感じ取ってくれた。これが「働く喜び、誇り」をつくり出す原点ではないかと私は考えるようになった。
6つの指標と13の観点による
Best Place To Workづくり
世界の全従業員に配布されているホンダフィロソフィーの中には、「マネジメントの立場にある人は、自分の部下1人ひとりが働く喜びを感ずることができるよう環境を整える責任がある」と明記されている。
で は、具体的にどんな環境かといえば、①安全で整理整頓された職場環境、②組織だった仕事のやり方と公平な業務分担、③一人ひとりが企業活動に参画できる機 会の保障、④意思疎通の努力、⑤オープンマインド(自由闊達)、⑥一体感の共有(チームワーク)、⑦目的の共有、⑧達成感の共有である。
理念と連鎖した形で、「働く喜びを感じる環境づくり」をマネジメントの共通責任としていることがホンダの強みをつくったともいえる。
この共通責任を実践するに当たって、われわれがアメリカのマネジャー層と議論しながらつくった組織指標がある。「Best Place To Work」と名づけた、社員の喜び・誇りを高めるための6つの指標である。
この指標は「仕事の誇り」「報酬」「成長への機会」「雇用の安定」「オープン・公平」「親近感」の6つからなり、この指標一つひとつをあげていくことで、社員の欲求が変化し、働く喜び・誇りを持てるようになっていくことを示した。
「社員の欲求」はマズローの5段階欲求説をもとに、独自に作成した。①雇用・報酬の確保、②報酬の増加、雇用の安定、③公平な取り扱い、職場の親近感、④ 仕事・職位の認知、成長の機会、⑤自己実現、仕事の誇り、の①から⑤の順に、社員の気持ちは変化していく。当然ながら、⑤状態が最もモチベーションが高 く、仕事にやりがい、誇りを感じている状態だ。
一例をあげて説明する。ホンダ・オブ・アメリカは、社員に対して「レイオフはできるだけ避ける」 というメッセージを流し続けていた。そんな中、91年の湾岸戦争の勃発で、アメリカ経済は一気に落ち込んだ。この時ホンダ・オブ・アメリカも生産量が 25%以上下がったはずである。この時、あるアメリカ人マネジャーが「何とかしてレイオフだけは避けてください」と社長に直言した。「その他のことは何で も協力します。だからレイオフは避けてください」と言ったのだ。
社長の吉野さんは「苦しいけどレイオフはやらない。代わりに3つの努力をしてほし い。せっかく時間ができるのだから、コストダウンにつながる方法をみんなで探してほしい。もう一つは一人ひとりが何かを学ぶ時間に使ってほしい。3つ目は その学んだことから職場の改善に生かしてほしい」と。
ビッグ3のほとんどは、当然ながらレイオフを実施した。しかし、ホンダはレイオフをしな かった。幸いなことに半年ほどで状況は改善し乗り切ったのだ。普段から「レイオフはできるだけ避ける」との姿勢を打ち出し、それを守った会社に対して、従 業員の信頼感やロイヤリティは一気に高まったことはいうまでもない。
またもう一つ社員の働きがいにつながったことは、ノン・エグゼンプトの時間 給従業員でもエグゼンプトへの昇進の可能性を示したことだ。アメリカでは、こういった労働者は時給で働くような人々である。そのような人々でも、マネ ジャーや工場長になることが可能な機会をつくるのが大切だ。実際にホンダ・オブ・アメリカでは、生産ラインから入り、工場長にまでなった社員もいる。
ホンダ・オブ・アメリカでは「Best Place To Work」が実現しているかを調べるため、次の13の観点から「従業員の意識調査」を行ってきた。
①職場環境、②ビジネスにおける目標、③尊敬の観点、④公平の観点、⑤表彰・認知の観点、⑥チームワークの観点、⑦2wayコミュニケーションの観点、⑧ お客様志向の観点、⑨仕事への参画、権限委譲の観点、⑩自分の上司、マネジメントへの観点、⑪従業員の能力開発の観点、⑫給与と福利厚生の観点、⑬企業イ メージと経理理念の観点
ホンダ・オブ・アメリカ版のBest Place To Workの6つの指標が理論的に妥当かどうかは明言できないが、実務家としての感覚ではかなり実践的なものであったと思う。その後、 ヨーロッパやアジア などでも実施した経験を振り返ると、これらの調査を通じて各々の企業の問題点がよく見えてきたといえる。あとは、その問題点をいかに改善するかである。
社員の働きがいを高めたいと考える企業は、今一度モチベーションやモラールの本質に立ち返って、これまでの各種制度の導入を見直し、また同時にこれらの観点からの新しい制度の導入をぜひ一度考えてみていただきたい。
グローバルマネジメント研究所 取締役パートナー
光富 敏夫