
これからの人材育成において、人事や人材開発部門が果たすべき最大の役割とは何だろうか。「人は育てられるので はない、自ら育つ」という視点に立ったとき、新たに見えてくる役割がある。今後求められる役割とは? そしてその具体策とは? 人事、人材開発部門の新た な役割について解説する。
1.育つ環境とプロセスを整える
人材開発部門の役割
いま、企業の人材開発部門が 果たすべき役割として、最も重要なのは何だろうか。それは人が育つ環境とプロセスをつくり出す、その推進役になることである。したがって人材開発部門にま ず求められるのは、根本的な意識転換だといえる。人材開発部門の仕事は企業内で教育を行い、人を育てることではない。「人は自ら育つ」というスタンスに立 ち、そのための環境とプロセスを整えることである。
「世界一小さな歯車・パウダーギア」で有名な、樹研工業の例を思い出してほしい。社長の松浦 元男氏は、採用試験を一切行わず、会社に来た順に採用するというユニークな採用方法を取っていることでも知られている。松浦氏が抱える「世界一の技術者」 たちは、多くは学歴としては高校卒業。彼らが育つ「秘密」について、松浦氏は次のように語る。「『いまどきの若者は……』とよく言うが、そんなことを言う 人は若者を知らないだけ。いまの若い人の能力はすばらしい。単に私は彼らが自分の能力を発揮できる機会を与えただけだ」
樹研工業は100万分の1グラムという世界一小さな歯車を開発する前に、10万分の1グラムの歯車の開発を行っている。
「10 万分の1グラムの次は、100万分の1グラムだろうかと考えました。でもいくら何でも難しいと思った。なので『次は100万分の10グラムをつくろう』と 言いました。そうしたら10万分の1グラムをつくった男が、『社長、それじゃつまらない。100万分の1にしよう』と言ったんです。だから、よし、頼んだ ぞ、と」
「人は自ら育つ」。これからの人材育成を考えるとき、このことを肝に銘じておく必要があるだろう。
2.5つのポイントで
自社を見直す
「それでは一体、自社には人が自ら育つような環境とプロセスが整っているだろうか?」
ここまで読めば、多くの方がそのように自社を振り返ることだろう。その際、次の5つの視点から自社を振り返ってみてほしい。
まず最初にチェックすべきは、社員にはどのような人材に育ってほしいのか、どのような人材に育つことを期待しているのかについて、明確なメッセージが企業理念や経営理念のなかに現れているかどうかである。
トヨタや資生堂など、最近「元気がいい」といわれる企業に共通しているのは、経営理念をはっきりと掲げていることだとはよくいわれる。経営理念は、同時に自社の従業員に対して、どのような人材に育つことを期待しているのかを示すメッセージでもある。
例えばホンダの経営理念には、「自立・平等・信頼」という人間尊重の考え方が明確に現れている。「自立」とは、従業員1人ひとりが自分のアイデアや知恵を 出しながら、主体的に仕事をしていくことを意味している。また、運営方針のなかには「常に夢と若さを保つこと」という言葉が書かれている。ベテランになっ ても、大きく夢を描いて、若さでチャレンジしてほしいという明確なメッセージがここにある。さらに社是のなかでは「世界的視野に立ちなさい」と述べられて いる。これもまた、そのようにあってほしい、そのような人材になってほしいというメッセージである。
ホンダ社員に求める人材像としてよくあげられるのは「チャレンジ精神」「自由闊達」という言葉である。これはもう少し言えば、人が育つために必要な風土そのものである。風土と企業理念の関係を人が育つという観点から考えると、次のようなことがいえる。
まず企業理念、経営理念のなかに、「人材のありたい姿」についてのメッセージが込められていること。そしてさらに、そのメッセージのもとで人が育つ風土が醸成されていること。このような企業であれば、「人が育つ環境」の第一の条件は満たしているといっていい。
3.成長・規範のモデルが
社内にいるかどうか
次に考えるべきポイントは、企業理念や経営理念として現れてきた人材のありたい姿を個々の部門が描いてみせているか、という点である。描かれた「人材のあ りたい姿」が、従業員から見て共感できるものになっているだろうか。理念で描かれたものと、人事制度やその他の部門で求めている人材像と一致しているだろ うか。
例えば新卒者の採用シーズンになると、ホームページで「わが社が求める人材像」といったものを学生に向けて発信する企業は多いだろう。そ こで描かれている人材像は、企業理念に表現された人材のありたい姿を、人材開発部門としてどのように捉えているのか、具体的に落とし込んだものだというこ ともできる。同様に生産部門や営業部門などでも、人材のありたい姿を各々で描くことができているか、考えてみてほしい。
ホンダでは、1965年 に専門職制度を導入している。これは社員一人ひとりがそれぞれの技術力を高め、専門性をより磨くための施策であった。この制度導入の背景には、「世界に通 用するエキスパートをめざせ」という創業者・本田宗一郎と藤澤武夫のメッセージがある。藤澤は常に「企業の成長はマネジメントや管理者の数ではなく、エキ スパートの質と量で決まる」と述べていた。だからこそ社員に向けて「世界に通用するエキスパートをめざせ」というメッセージを発したのであり、そのメッ セージを受けて専門職制度の構築と導入が成されたのである。
企業理念のなかに現れた人材のありたい姿がまず最初にあり、それを具現化する制度が ある。制度のなかで示されているコンピテンシーモデルや評価基準が、先に示されたありたい姿に一致しているかどうか。そこにギャップがあるとすれば、もう 一度自社が求める「人材のありたい姿」について考えてみる必要があるだろう。
一つの具体的な指針をあげておこう。現場で「先輩の●●さんのよう になりたい」「●●さんのようにエンジン開発をしたい」「いつかは●●さんのようにデザインをやってみたい」といったことが語られている職場は健全だ。成 長のモデルとなるような人材が社内にいるだろうか。ぜひチェックしてほしい。
4.OCTで人が大きく育つ
3つ目に考え るべきポイントは、人が大きく育つための環境を整えるにあたって、どのようなコンセプト・方針で持っているかということである。私は人材とは、場と機会で もって大きく育つものだと考えている。すなわち、「OCT(On the Chance Training )」である。人材開発部門は、人が育つ場と機会をつくることに注力することが重要だ。
日本で人材育成の手法といえば、まず上がるのがOJTと Off-JTだろう。もちろんOJT、Off-JTも有効な手段であり、否定するつもりはない。特にここ最近、OJTの再評価が進み、欧米式の選抜式教育 と組み合わせて盛んに人材開発プログラムのなかに組み入れられている。
注意したいのは、OJTやOff-JTは万能ではないということだ。個々 人の役割責任の範囲内で必要とされる専門技術や技能、その他のコンセプチュアルスキルやヒューマンスキルを身に付ける際には、OJTやOff-JTはよく 機能するだろう。しかし創造性に富んだチャレンジ精神と、やり抜くねばり強さをあわせ持ったスケールの大きな人材は、OJTやOff-JTでは輩出されな い。やはり場と機会こそがこうした大きな成長をもたらすといえる。
このように言うと「いや高度経済成長期には、OJTで多くの人材が輩出された ではないか」という反論を持つ方もいるだろう。ただ、よく考えてみよう。QC活動などと並行してOJTは確かにスキルアップに貢献してきた。しかし同時に この時代は、日本経済が毎年毎年めざましい拡大を見せ、当然ながら誰もが新しい場と機会を次々と与えられていた時代でもある。2年、3年すれば、新しい職 位、新しい場所、新しい仕事に放り込まれた。その仕事を何とかやり抜こうとしている間に、気が付けば成長していた、ということもできる。
高度経 済成長期に場と機会によって人が成長していたことを示すのが、80年代、90年代の大企業だ。この時代成熟を迎えていた多くの企業では、新しい場を社員に 用意することが難しくなり、「人材が自社で育たなくなった」といわれたものだ。この状況を打破したのが、次々と創業していったIT系を中心とするベン チャー企業である。ソフトバンクや楽天を例に出すまでもなく、「第二創業」ともいえるこれらの新興企業では、確かに場と機会が用意されているだろう。いろ いろな批判はあるにせよ、創業時のメンバーが成長することで企業も成長したといえる好例である。
5.現場ニーズを吸い上げた
プログラムづくり
4つ目に考えるべきことは、人材開発プログラムそのものについてだ。誤解を恐れずに言えば、人事や人材開発部門が中心になってつくったプログラムはあまり 機能しない。このようにいうと「いやそんなことはありません。全社的に展開して、みな一生懸命使っています」という人材開発部門の方もいるが、そうだろう か。
大事なことはプログラムを開発する際に、生産部門や営業部門、管理部門など、使う部門の人がどれだけかかわったかということである。使う側が主体でプログラムを開発することで、現場ニーズを正しく吸い上げ、現場にマッチしたものをつくることができる。
例えばホンダの研究開発部門では、技術者が育つためのシステムを考える際、「技術者の喜びと苦しみを浮き彫りにする」ことを基準としている。これは技術者 の喜びと苦しみが浮き彫りになるような仕組みができれば、技術者は自ら育ち、その能力をフルに発揮して優れた成果を生み出すという技術者の視点に立って考 えられた方針である。この方針から、具体的には次の6つの方針が守られている。
(1)一件1人主義
開発責任者は一件につき1人が大原則。最大限の自由と裁量権を与えることで個人の主体性を引き出し、意欲と才能をフルに発揮できるようにすることを狙っている。
(2)並行異質自由競争主義
あるテーマに関して異なるアイデアがあれば、並行して自由に競争しながら開発・研究することを認めている。この競争関係をつくり出すことで、相互に刺激しあい、進歩し合うことを期待している。
(3)自己申告主義
研究や開発は、アイデアを出した人がそのテーマの責任者となる。創造へのやる気と責任感を高めるためだ。
(4)行動主義・現物主義・事実主義
空理空論ではなく、実際に試してみた具体的な結果と物を最も尊重し、事実に基づいた比較検討を行って、新たな方向を発見することも大原則である。
(5)収斂主義
さまざまに錯綜したテーマやプロジェクトがある場合、プレゼン等を通じて収斂先を決定する。その際、研究者の喜びと苦しみが浮き彫りにされる。
(6)評価主義
研究の進捗に合わせ、何度も評価のポイントが設けられている。最終的に製品につながる研究もあれば、研究中止となるものもある。この過程でも研究者の喜びと苦しみが浮き彫りにされる。
もう一つの事例、ホンダの生産部門は現場ニーズを反映したプログラムを主体的に開発している。この時、例えば生産部門でできることは生産部門で、それにプ ラスして生産部門ではできない部分については人事部門と連携して開発を行う。「世界と地域の両方でモノづくり技術者が育つプログラム」も生産部門、人事部 門の共同作業によってつくられたプログラムだ。
このプログラムは共通基礎プログラム、共通上級プログラム、日本の国際要員プログラム、現地法人 コア人材プログラムと、4つのプログラムで構成されている。特に日本の国際要員プログラムはテクニカルスキルに加えてマネジメントスキルや異文化適応力ス キルなどを身に付けるが、マネジメントや異文化適応力スキルなどの分野で人事部門が力を発揮した。
このほかにも目的別の海外トレーニー制度、海外駐在員候補者推薦制度など、生産部門と人事部門の共創で開発したプログラムは多い。人材開発プログラムの成り立ちについて、このような視点から見直しをしていきたい。
6.自社のあり方を見直し
人材開発部門の役割を考える
最後に考えるべきことは、現場で人が育つという点だ。ホンダでは「三現主義」といって、「現場・現物・現実」を大切にするという基本方針がある。これは1958年から本田宗一郎が言いはじめた言葉で、技術者、研究者は現場を離れてはならないという方針だ。
インターネットなどのIT技術に頼りすぎず、技術者同士の現場での議論を促進する。これもある意味では、技術者に現場で人が育つための場と機会を与える一つの施策ともいえる。
人材開発部門の大きな役割は、人事制度をつくることだけではない。経営と共に、人が育つ環境をいかにつくり出すか、が最も重要だ。今回紹介したポイントを見直すことで、自社に「人が育つ環境・プロセス」が整っているのか振り返ってもらいたい。
グローバルマネジメント研究所 取締役パートナー
光富 敏夫