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はじめに夢ありき~第1回 「人事は経営理念の旗を振れ」

mitsutomi
2006年1月から(株)JMAM人材教育が発行している「人材教育」に連載を始めました“はじめに夢ありき”の記事をこのホームページで掲載していきます。

ブレークスルーによって新しい価値を創出し続ける。21世紀の日本企業に必要なのは、このような新しいタイプの持続的成長である。企業の成長を支える源泉 は、まさに「人材」。では人事・人材開発部門は、こうした人材の育成や活用に対して、どのように寄与できるのか。21世紀型企業のなかで求められる役割と は? 本田技研で培った体験と想いを交えながら、人事・人材開発の今後のあり方について、具体的なヒントを提示していきたい。

1.「失われた10年」とは
どんな10年だったのか

失われた10年。バブル崩壊以降の10年から15年間を、このように表現するのをよく耳にする。80年代後半から90年代初頭のバブル景気は、1950年 代半ばからはじまった高度経済成長期の延長上にある。「失われた10年」とは、右肩上がりの経済成長期の成長感をいつまでも取り戻せない、そんな気分から 生まれた表現だろう。
しかし私は、この期間は日本の企業にとって必要な時間だったのではないかと考えている。戦後、日本企業は欧米企業に「追い つけ追い越せ」と邁進してきた。ところが80年代に世界のトップランナーとなった時、われわれは大きな問題に直面した。追うべき背中をなくした瞬間から、 トップランナーとしていかに走るかを、自分たち自身で考える必要に迫られたのだ。
その意味で失われた10年とは、次の新しい時代への移行期であ る。日本企業が21世紀に向けて新しいものをつくり出していく、そういった本質的な体質転換に必要な期間だったのだ。もちろん、個々の企業によって短期間 で体質改善に成功した企業もあれば、長くかかっている企業もある。いずれにせよバブル崩壊後、日本企業は企業のあり方に対する根本的な見直しを迫られたと いえる。

2.問題解決型企業から
理念先行型企業への転換

では世界のトップランナーとなった日本企業に必要とされたものとは何だったのだろうか。
80年代に日本を世界のトップに押し上げた強さの源泉、それは、目の前の問題や潜在的な問題を一つひとつ丁寧に解決し、強い体質をつくり上げる、その積み重ねである。戦後の40年から50年間は、このような「問題解決型企業」が日本を牽引した時代だ。
問題解決型企業の代表例は、言うまでもなくトヨタである。品質、コスト、デリバリーといったあらゆる側面について、改善と問題解決を積み重ねた素晴らしさ。そのレベルを世界レベルにまで引き上げることで、トヨタは日本を代表する世界的企業になった。
しかし、トヨタをはじめとする問題解決型企業は、世界のトップランナーとなった時にある問題に直面した。それは、自分たちが目指すものを自分たちで設定す るという課題である。それ以前の日本企業は、欧米企業を目指して進んでいけばよかった。ところが彼らと肩を並べた時、企業として持続的成長を続けるために は、進むべき方向性や目指すべき価値を自ら掲げることが求められた。そしてその価値を社内・社外両方に向けて発信し、浸透させる。これができた企業とでき なかった企業の間に、現在見られる「差」が生まれたといえる。
「問題解決型企業」から「理念先行型企業」への転換。90年代、バブル崩壊以降におきたのは、企業の体質を根本的に転換する作業だったといえる。

3.創業者まで遡って
DNAを見つけたトヨタの試み

「理念先行型企業への転換」という課題を考えたとき、最も重要になってくるのは企業理念である。個々の企業が、企業理念をどのように捉え、位置づけているか。それが企業の現在の位置と同時に、今後のあり方を占う要因となり得るといっても過言ではない。
例えば先ほど上げたトヨタだが、90年代以降のトヨタは、この課題を意識し、変わってきた企業の代表例でもある。90年代後半、トヨタの経営陣には明確な 意思があったに違いない。今後グローバルな企業として展開していくには、問題解決型だけではダメだと。トヨタの理念を掲げ、すべてのステークホルダーと共 有しながら企業をつくっていこうと。「経営理念は企業の成長の原動力である」との認識を、そこに読みとることができる。
この認識に立ってトヨタ が行ったのは、創業者の豊田佐吉までさかのぼり、自社のDNAと価値を見つける作業である。それが結集したのが2001年に発表された「Toyota Way 2001」だ。トヨタの経営の価値観とものづくりについての思想を、世界中の従業員と共有することを目的につくられたもので、まさに創業以来受け継いでき たトヨタのDNAということができる。
自らの立ち位置を明確に認識し、それに合向かって改善、改革していく力。これがトヨタの強みであり、今日の成長を支えている。

4.「三つの喜び」で企業理念を
示した本田宗一郎

このようなトヨタに対して、ホンダはどのような企業だったのか。日本企業にはめずらしく、ホンダは創業時より理念先行型企業であった。
本田宗一郎、藤沢武夫、二人が二人三脚でホンダをつくりあげたのはあまりにも有名な話だ。本田と藤沢が出会い、藤沢が本田のパートナーとなったのは創業の 翌年の1949年。2年後の1951年には、本田はわが社のモットー、存在意義として「三つの喜び」について「ホンダ月報」に寄せた。
本田が述べる三つの喜びとは、「作って喜び、売って喜び、買って喜ぶ」の三つ。「作る喜び」では、独自のアイデアで社会に受け入れられるものを作ること。その喜びは技術者にとって「絶対無上」だと述べている。
「売る喜び」では、良くて安い品は必ず消費者に受け入れられ、そこに利潤が生まれ、同時に販売店にはその品を扱うという誇りと喜びが生まれる。「売る人に喜ばれないような製品を作る者は、メーカーとして失格者である」と本田は断言する。
三つ目の「買う喜び」では、製品の価値を最もよく知るのは、日常製品を使う購買者であり、「これを買ってよかった」と喜んでもらうことこそ、「製品の価値の上に置かれた栄冠である」と述べている。
この三つの喜びに記された基本理念は、1954年に発表された人間尊重に基づく「人事方針」、1956年に発表された「社是」と「運営方針」にそのまま受け継がれている。
「社是」ではホンダの企業としてのありたい姿について次のように述べている。
「わが社は世界的視野に立ち、顧客の要請に応えて、性能の優れた、廉価な製品を生産する。」
わが社の発展を期することは、ひとり従業員と株主の幸福に寄興するに止まらない。
良い商品を供給することによって顧客に喜ばれ、関係諸会社の興隆に質し、さらに日本工業の技術水準を高め、もって社会に貢献することこそ、わが社の社是である。」
さらに運営方針では、「常に夢と若さを保つこと」「理論とアイデアと時間を尊重すること」「仕事を愛し職場を明るくすること」「調和のとれた仕事の流れを作り上げること」「不断の研究と努力を忘れないこと」の5つをあげている。

5.個を尊重し
3つの喜びを実現するという思想

本田がはじめて「三つの喜び」について述べたのが1951年。1945年の敗戦後、GHQの政策によって進められた労働組合の結成が、いよいよ全国に浸透 していった時代である。各地で労働争議が噴出し、1950年には春闘や後の国会デモなどを指導した日本最大の日本労働組合総評議会が発足している。自動 車、運輸、重工業等を中心に、労使間闘争がますます激しくなっていった。
今でこそ当たり前だが、半世紀前のこの時代にあって、人間尊重とステークホルダーの喜びを掲げた本田と藤沢。二人のこの企業づくりは驚きに値する。
このような二人の考え方は、それぞれの苦しい経験から生まれた。本田と藤沢が出会ったのは1949年。本田42歳、藤沢38歳の時だ。「自分のないところを相手が持っていた」と、ひと目で意気投合した二人は、会社をつくるにあたって二つの約束をしたといわれている。
第一の約束は「自分たちが嫌だと思ったことは、ホンダの従業員には味わわせない」というもの。本田技研工業は戦後の混乱期に創業した当時の新興企業。今で いうベンチャー企業だ。創業時は「柄が悪い」「学歴がない」など、さまざまな非難も受けたそうだ。「言われのない非難」を浴びて、悔しさを味わったのは一 度や二度ではない。「そんな悔しさは、自分たちの社員には味わわせまい」。それが二人の一致した気持ちだったのだ。
そしてもう一つの約束は、 「ホンダを去るときに、ホンダで働いてよかったといえる会社にしよう」というもの。「運営方針」の「仕事を愛し職場を明るくすること」のなかでは次のよう に述べられている。「働きよい職場で本当に仕事に情熱を打ち込むことのできることほど幸福なことはない。……職場は人間錬磨の場であり、人間完成のところ でもある。真に自己の一生を託することのできる職場を作り上げることこそ全体の幸福を探求する道であり、そのためにこそみんなで協力し合ってゆかなければ ならない。」
ここには「社員を大事にして社員がいきいきと働ける会社をつくろう」という意思と、価値のあるアイデアや製品は、そこから生まれるのだという確信が満ちあふれている。

6.経営理念とは
つくるものではない

トヨタやホンダの例から学べることは、経営理念はつくるものではなく、見つけるものだということである。現在では経営理念を掲げることは企業にとって当然 のことのように受け止められている。だが、掲げた経営理念が本当に社員のものになっているか、単に掲げただけのものになっていないか、検証が必要だろう。
経営理念が浸透しているかいないか、一つの指針となるのはマネジメント層だ。マネジメント層が自分自身の言葉で経営理念を語れるかどうか考えてみてほしい。もし語れないようであるなら、それは経営理念が「絵に描いた餅」になっている可能性がある。
経営理念が浸透している企業は、お客様の側から見ても、「企業イメージ」「ブランドイメージ」が明確だ。花王、シャープ、キヤノンなど、現在も成長を続け ている企業に共通してみられる特徴だろう。お客様自身も、このように姿の見える企業にこそ期待もし、その商品を支持していくといえる。
経営理念を掲げ、実践する理念先行型企業の要件について、私は次のように考えている。
まず必要条件とは、①企業の存在目的を明らかにしている、②企業の目指す姿を示している、③企業の行動指針を明らかにしている、④実践を通して企業風土・個性が醸成されている、の4点だ。
十分条件は、経営理念を従業員、お取引先、社会など、すべてのステークホルダーに浸透させ、共有しようと努力しているかどうか。そして経営トップから一般 の従業員までがそれぞれの立場で、その実現に誠意を持って努力できていることが、これからの理念先行型企業には求められるだろう。

7.経営理念と人事の役割
そのフィールドは広い

経営理念について人事の立場から考えたとき、その果たしうる役割は広い。大きくは、経営理念と連鎖した人事制度をつくり上げていくことがその仕事の一つとなる。一つでも二つでも連鎖した仕組みを考えることが大切だ。
もし経営理念が不明瞭、あるいはあるにもかかわらず従業員から見て「しっくりこない」とするならば、経営理念の検証から人事はかかわることができる。10 年、20年、30年と続いている企業には、続くだけの「素晴らしさ」が必ず存在している。その素晴らしさとは何か。それを探ることはすなわち自社のDNA を探していく作業であり、創業時から現在まで伝えてきたものを明確にする作業だろう。この作業を通じて「額に飾ってあるだけの経営理念」が、本物の経営理 念になるはずだ。
経営理念の検証がなされたならば、次に考えるのはいかに浸透させるかという問題である。浸透には4つのステップがある。

●第1のステップ【知る】
まずは経営理念を従業員に知らせること。経営トップが発信するのが最もよい。もちろん一回だけではなく、折に触れて、ことあるごとに理念に触れる。

●第2のステップ【理解する】
経営理念を知ったら、次は理解して自分の言葉で語れるようになることが大切だ。これは特にマネジメント層にとって、重要な仕事になる。マネジメント層が経 営理念を理解し、語れる場を設け、学ぶ場をぜひ持ってほしい。そこで大事なのは、それぞれの社員がこれまで実践してきたことや体験してきたことが、どのよ うに理念につながっているかを考えることだ。「なるほど、このようにつながっていたのか」という視点を得ることで、自分の言葉で語れるようになるだろう。

●第3のステップ【実践】
マネジメント層が、理解した理念をどのように日々実践するか。実践を通じて部下や周囲に浸透させていくことが大事だ。

●第4のステップ【評価】
理念とは理想だ。当然ながら理想と現実には常にギャップが存在する。そのギャップを完全に埋めることは不可能かもしれないが、できるだけ小さくしていこうという努力をし続けることが大事だ。

人事・人材開発部門は社内のコーディネーターとなって、経営理念共有への旗を振り、理念先行型企業への進化を促進することができる。21世紀の企業にとって最も本質的なこの転換に大きな役割を果たすことは、人事・人材開発部門自身の存在価値を高めることでもある。

グローバルマネジメント研究所 取締役パートナー
光富 敏夫

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