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この国はどこへ向かおうとしているのだろうか?

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現代は好むと好まざるに関わらずグローバル化は事実として確実に進行している。そしてこれに対応するべくこれま でに多くの日本企業も、経営コンセプトやシステムを改革しようとしてきた。しかし、現実は各種の経営システムを導入しても“仏作って、魂入れず”の状態が 多く、運用すべき現場ではそれらのシステムの導入に混乱をきたしている。
混乱の一番の原因はグローバルに戦えるはずと信じたコンセプトやシステム を社内構築したものの、その多くが欧米発の焼き直し、即ち欧米の価値観に基づくものが多く、現場の価値観と衝突を起こしているためである。その極端な例が 成果主義にたいする強烈な拒絶であり、挙句には“だから日本企業には欧米型はダメなんだ”とまたぞろ振り子がゆれ戻し状態となってしまっている。

しかし、私は日本経営を支えてきた伝統的な価値観ではこれからの日本企業、強いては日本という国そのものが沈下してしまうと強く懸念している。
市 場が拡大していたときには、実にうまく機能してきた日本の価値観が今や細胞劣化を起こし、大きな社会問題の元凶とさえなってしまっているのである。即ち、 近年、多くの企業が不祥事を引き起こしているが、これは“会社がすべてであり、何をしてでも会社は守るべき”というこれまでの価値観の行き過ぎがなせる罪 なのである。

又、国家という観点から見ると小子化、高齢化、年金、保険などの多くの社会福祉制度はいまからその近未来の問題が明らかに見えているのも関わらず改革することを強度に怖がるこれまでの日本人の価値観により先送りされるばかりである。

と いって欧米型の経営手法をそのまま導入することにも疑問を持っている。欧米型の経営の基盤となっている価値観は戦うことのみを主としたものであり、勝者が 結果のすべてを獲得するというものである。どれほど立派な論調を聞いてもその裏にはエゴイズムという言葉がチラツク。 勿論、戦う精神がなければ過酷なグ ローバルの波に飲み込まれ、抹殺されてしまう。しかし、熾烈な競争だけの社会では世界で最も落ち着いて安定した社会を形成してきたと言われる日本が荒廃し てしまうのではと懸念するのである。

残念ながらグローバルな時代に価値観の異なる人たちと接触することは300年近い鎖国を歴史として経 験してきた日本人にとって容易なことではない。しかし、現実から目を逸らすことは今や許されないのである。以前のようにエスカレーターに乗れば、自動的に 上がってゆく社会ではもはやない。エスカレーターに乗ったとしても止まってしまうか、逆に下るか、予想がつかないのである。又、企業は若い人材に自律を求 めると言いながら、現実は組織の価値観の中に閉じ込め、自律することを潰してきた。このダブル・スタンダードを突き破る必要がある。

これ からの自己実現化には自律する以外に選択肢はない。そのためには“会社がすべてではない。自分のスキル、技術を磨き、それが自己現実化の基盤となる”とい う“自己の自信に満ちた価値観”に変革させないと自律心に満ちた社会の形成など到底おぼつかない。会社にしがみついているだけの人生ではあまりにも悲しす ぎる。

日本企業のグローバル経営について考察すると最終的にいつも日本という国についてのありかたにまで到達してしまう。それほど企業経 営のグローバルに通用する価値観の探索は重要である。“モノつくりだけの企業”、“モノつくりだけの国家”の上を行く、個人の自律を促し、活力のある日 本、企業を再生し、しかもエゴを押さえ、社会的混乱、矛盾、荒廃を防ぐ社会の構築が日本の進む一つの方向ではなかろうか?その推進を支える人材の育成が急 務である。それこそ80年代には多くの日本発の経営コンセプトがあり、多くの欧米の企業、コンサルタント、大学などの教育界が日本の成功に学ぼうと必死で あったように畏敬と尊敬の念を持たれた日本を取り戻すべきである。
勿論、改革は簡単なことではない。しかしその方向に進むことに少しでも貢献できればとの想いはますます強まるのである。

井上裕夫(花王株式会社 元理事)
[2005.08.17]

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